少子化

経済学と少子化

原田氏の28章を読んで。
 少子化対策を内閣が募集してたそうだ。実現不可能な究極の少子化対策は年金の負担をなくすことである。不可能な理由は、少子化対策が叫ばれている理由は国力の低下を心配しているのでなく、年金の破綻を防ぎたいからであり、その財源を確保するための少子化対策だから。会社にたとえると、退職者の年金を維持するためには新入社員が必要であるが、いったいどうしたら自分が受け取れる額より高い年金負担の当社に入社してくれるだろうか。
 国として、生まれてくる子供たちに対して「愛」がない。
 アジア諸国では家中心の社会で、年老いた親の世話は子がするのが普通である。経済学的に「ドライ」な観点からみると、子を育てること、教育に費用をかけ、その見返りとして子の世話になる。そのため子が一人前になるまで金銭的にカスカスであることも多い。結果、老後のたくわえも十分でない。親は「子」に「投資」しているともいえる。国の行政を中心とする社会が「子育て」と「老後」への責任を負っていない歴史と現状がそうさせる、とも考えられる。
 他国の事情をみてみよう。アメリカは子の世話はハイスクールを卒業するまで。大学以降の学習は本人もち、あるいは社会が負担する(後述)。開放された親はそれ以降は自分たちのやりたいことにお金を使う。子の世話を期待していない。塾だの受験戦争だのが熾烈でないのは、親が将来のよりどころとしての「子」に「投資」しないということのみならず、優秀な生徒には社会から十分な奨学金が与えられるためである。十分な奨学金というのはどの程度かというと、進学校の生徒会長クラスになると500万円くらい貰えることもザラである。親が教育に金を使わずにエリートを養成する社会的システムが存在している。
 福祉国家の先端をいくフィンランドはどうだろう?9月15日のTBS、筑紫哲也氏の現地取材の報告を簡単にまとめると、行政主導のおちこぼれを極力出さない教育システム、子育て支援システムが機能している。国の「子」への愛が感じられる。財源としての消費税は20%を超えている。
 小泉首相は消費税には手をつけないと明言しているので、次期首相が消費税をフィンランドと同程度まで上げ、年金負担を減らすことができるかどうか、将来の鍵となる。厚い恩恵をうける年金生活者は所得がないため所得税を払わない。この層から税を取る(還元する)には消費税と相続税しかない。